インフォームドコンセントという言葉をご存じでしょうか?最近随分ポピュラーになったので、お聞きになったことのある方も多いでしょう。「これから行おうとする手術や治療などについて十分な説明を受けた上での患者さんの同意」という意味で、医療の世界ではもう10年も20年も前から使われてきた言葉ですが、いまだに適当な邦訳がなく、「インフォームドコンセント」とカタカナのままで語られることが多いようです。この言葉は、「契約の国」米国で多発する医療訴訟を背景に生まれた言葉で、いつまでたっても適当な訳がないということは、従来わが国にはなかった概念なのだと思います。

さて、折からの世界同時不況のあおりで実損や含み損を抱えられた方も多いことでしょう。中でも悲惨なのは外貨建てのファンドに投資していた場合です。ファンド自身の運用成績が振るわないうえに円高による為替差損が加わり、その資産価値の減少は目を覆うばかりです。ファンドの申し子の一人であるジョージ・ソロス氏は自身の著書の中で、「ファンドは投資家から資金を集めて運用し、利益を出せば成功報酬を取るが、損失が出ても全て投資家の自己責任であり、ファンドは責任を負う必要がない。この状況ではどうしてもモラルハザードが生じる」という意味のことを述べています。ファンドのど真ん中にいた人の語るこの言葉は非常に重いものだと思います。確かに、細かい字で書かれた分厚い目論見書を渡され、サインしないと投資することができないようになっていますね。これも一種のインフォームドコンセントです。「説明を受けたうえで同意しました」ということになり、「損しても自己責任ですよ」ということになります。こんな無責任なものに大事な資産を託すことそのものが間違っていますね。

しかし、医療の世界もインフォームドコンセントという概念の導入によって、こういう世界に近づいているように思えてなりません。検査や手術を受ける時、その説明を受けた後に必ず同意書というものにサインしますね。幸か不幸か、医療の世界では今のところ「同意書のサイン=自己責任」ということにはなっておらず、同意書にサインがあっても検査や手術で不都合な合併症などが起きて患者さんに不利益が生じた場合には、医師が責任を問われることが多いようです。そしてこのことが萎縮医療や、ひいては医療崩壊の原因の一つであることは否めません。どのような検査であれ、手術であれ、たった1錠のお薬を飲むことにさえ、一定の確率で起こりうる合併症や副作用というものがあります。そのことを事前に説明し了承していただいた上で治療を行ったのに、結果が悪かったからといって訴訟を起こされる、というのでは誰も危険な手術や検査に手を出さなくなるでしょう。だからといって「同意書のサイン=自己責任」っていうのも困りますね。医師が自らの責任を回避するために、万に一つしか起こらないような合併症や副作用までくまなく記載しようとすると説明書、同意書はどんどん分量が増え、そのうち保険の約款みたいになってしまうでしょうね。風邪で医者にかかってお薬をもらうだけでも分厚い同意書にサインさせられたりして…。いやですね、そんなの…。

「事細かに説明したうえで患者さんの同意を得る」といえば聞こえはいいのですが、インフォームドコンセントというのは要するにプロがプロであることを放棄することに等しいように私には思えます。プロである医師が、素人である患者に判断を委ねるなんておかしくありませんか!?こういうおかしなことが、医療の世界以外でもあちこちで起こっているような気がします。民主主義の成熟に伴い、国民の権利意識が強まるのは結構なのですが、権利には必ず義務が伴うこと、そして行き過ぎた権利意識の増大は結局、己に厄災としてふりかかってくることもあるのだということを、私たち一人一人が十分に認識しておく必要があるのではないでしょうか。