5月11日

皆さん、お久しぶりです。
3月からブログの更新が止まってしまっていました。。。楽しみにしてくださっている皆さん、すみませんでした。

ですが、ブログの更新が止まっている間に
ふかもり眼科 ホームページがリニューアルしました!!(^^)ヤッター!

院長の好みにぴったりで、わたしは大満足しております。
新しいホームページ作成を担当してくださったのはアイモバイルの方です。今後ともどうぞ宜しくお願いします。

3月からずっとブログを更新していなかったのには少々理由がありました。
3月11日の東日本大震災が発生し、それ以降いろいろと私自身やわたしの周りの状況も変わりました。
皆さんも同じなのでは?
私は4月に予定していた医療関係のフォーラムが延期され(これは7月開催決定!)、
4月20日から22日、5月1日から4日と被災地へ支援活動へ赴くこととなりました。

これを読まれている皆さんの中にも、東北で行き支援活動された方もいることでしょう。
私は阪神大震災で実家が全壊しました。避難所生活を1ヶ月以上しておりましたから、
今回の震災は他人事とは思えませんでした。
また私が加入している兵庫県医師会が震災発生の初期から被災地における救護活動を
積極的に行っていることもあり、私も救護支援活動に参加させて頂きました。


今日から数回に分けて、石巻市の石巻中学校を拠点とした救護活動についてブログでご報告させていただきたいと思います。



~石巻報告1~

報告が遅くなってしまいましたが、ようやく石巻での救護活動について文章を書く気持ちになれましたので、あの二泊三日の濃厚だった時間を振り返ってみようと思います。

4月22日に宮城県石巻市から神戸・明石に帰ってきたのですが、
被災地から帰ってきた後、予想通りしばらくの間緊張状態が続いていました。
さらに4月と言えば季節の変わり目とか、年度初めとかいろいろなイベントごとも重なっていたので
知らない間に緊張状態が続いていた気がします。

とても短い間だったのに、それでも被災地にいますと知らず知らずの間に心身ともに緊張する(ストレスを受ける)ということは、被災者の方々は地震発生からずっと心身にストレスを感じていらっしゃるのだろうと感じました。

私は帰宅して、翌日から普段どおり仕事をしてたのですが、その時とてもホッとしました。
そんなことに気づいて、ふと被災者の皆さんも恐らく普段どおり、普通どおりの時間を過ごしたいと
思っていらっしゃるのでは、、と思いました。この点については後日もう少し詳しくお話したいと思います。



4月20日(水)石巻へ出発
兵庫県医師会で構成されたJMAT 第15陣が石巻に出発。
3月11日震災発生以降、兵庫県医師会の会員(医師)と看護師、事務員、薬剤師を1つの救護チームとして構成し石巻市の石巻中学校の救護所や他の避難所での活動を行っています。

活動期間は2泊3日または4泊5日という期間でチームを交代して引き継ぎします。
私の番でちょうど15番目のチーム。なので第15陣と呼びます。

まず石巻市へのアクセスは空路→陸路という方法でした。
伊丹空港から山形空港へ。山形空港から医師・看護師・事務員・薬剤師がチームとなり8名ほど一緒にバンに乗り込みました。
山形はまだ山の上に雪が残っていて、桜も7分咲き程度でした。
そこから1時間ほどかけて仙台市内へ入り、そのまま北東へ進み石巻市内へ向かいます。
4月20日の時点ではすでに一般車両も交通できましたので仙台市内から渋滞が始まりました。

そして仙台市内の高速道路からの景色を見て愕然としました。
海岸線は見えないのに高速道路より海側には瓦礫が散乱しているのです。
これは海岸線からずっと内陸まで津波が押し寄せてきたことを、震災発生42日目にもまざまざと見せつけられました。

自衛隊の災害救助車両が頻繁に往来するのを見ると、普段は見ない光景なので知らず知らずのうちに緊張感が走りました。
「ああ、ここは非常事態エリアなんだ」って、景色が教えてくれます。
もう1か月以上経つのに、、、。
一体どんな活動ができるのだろうと、少し不安になりながら石巻へ向かいました。(続く)

1)仙台市内の高速道路。高速道路の海側と陸側では景色が違いました。海側は津波の被害があり、瓦礫が散乱していました。道路より内陸側は津波の被害もなく、普段どおりの光景がありました。津波は高速道路の土嚢でようやくせき止められたようです。そして、まだ水(海水)引いておらず水が溜まっている場所も散見しました。
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2)兵庫県医師会 災害救護支援チーム(JMAT)拠点となる石巻中学校の正門
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3)石巻中学校
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